「増田貴久」私論ー #にゅすほめ
しきさん主催の「にゅすほめ」クリスマスイブ担当のたむです、こんにちは。
#にゅすほめ Advent Calendar 2016 - Adventar
さて、「にゅすほめ」にしてはかたいタイトルをつけたのには訳があります。このイベントの開催告知前後に、私はこんなブログを書きました。
私の中のカルテットドーム公演に対する違和感とか、自担についてるあんりーな方の言動とか、自担の不安定な露出とか、NEWSの今後とか諸々考えてたらすごく辛くなってしまっていました。(ほんとに身内の皆様ご心配おかけしました)
だから、にゅすほめも去年エントリーしたけど書けなかったから今年こそは書こうと、思いつつ……しきさんに「卒論のつもりで書きます」と伝えていたくらいです。増田貴久担当からの卒業をするつもりでした。
卒論の、って言ってなんでイブかっていうと私のリアル卒論がクリスマスイブ提出っていう鬼畜スケジュールだったからなんですね!●年前!規定字数四万字以上!*1まぁそれにうっかり遅刻してるんですけどね!卒業できねぇやあっはっは。
ブログなので四万字も書きませんが、一応私なりの「増田貴久論」として、クリティカルな視点を持ちつつ、褒めるというか価値ある評価をしようと思います。にゅすほめっぽくないかもしれませんが、よろしければお付き合いください。
1.増田貴久とは
ジャニーズWebを開くとこう書かれています。
1986年7月4日生まれ。東京都出身O型。171センチ67キロ。足の大きさ27.5センチ。
Yahoo!で検索するとどんな関連ワードが引っかかるでしょう?
ブサイクて!!!
誰もが認める美形とは言い難いけれども、彼もジャニーズ。途中顔とかおっとおっとって時もありますが、キメるところキメる三十路です。
では、twitterで試しにアンケートを3時間取って見ました。増田貴久と聞いて思い浮かべるものは?と。
【緊急アンケ】増田貴久(NEWS/テゴマス)、といえばまず何を思い浮かべるか。あなたの中の増田貴久さんの印象をお選びください!
— たむ@今年の冬も一緒だよ♡ (@tam_co_stt) 2016年12月24日
【緊急アンケ⑵】では、その次に思い浮かぶ「増田貴久」の印象は次のうちどれですか?
— たむ@今年の冬も一緒だよ♡ (@tam_co_stt) 2016年12月24日
私という質問者のバイアスがかかってるので一概には言えませんが、こんな感じなんですね。なるほどなるほど。笑顔のだんとつ具合すごいですね。
私本人は、増田貴久とは「不撓不屈*2の人」だと考えています。
人によっては、「や、そもそもNEWS全体が不撓不屈なんじゃないの?だって9人が8人、6人、4人になって、いちごのないショートケーキとか言われて、事務所にも4人での復活難色示されたんでしょ?」と返されるかもしれません。
確かに、NEWSというグループの歴史は不安定で急上昇急降下するジェットコースタータイプのグループ*3です。その中でアイドルとして生き抜くことは不撓不屈と言えるでしょう。
しかし、私はここで敢えて、増田貴久個人自体も、不撓不屈の塊であると定義します。それは、増田さんのJr.時代から遡ります。
2.棚ぼたとハングリー精神のJr.時代
増田さんは、1998年11月8日にジャニーズ事務所に入所しました。そして、それから2002年9月15日のNEWS結成までのJr.生活は、棚ぼたとハングリー精神で成り立っていたと思います。さて、1998年11月8日、この時オーディションに受かった人、つまり増田さんの同期を列挙して見ましょう。
亀梨和也、赤西仁、中丸雄一、越岡裕貴、塚田僚一、藤ヶ谷太輔、そして増田貴久。
人数多いし豪華すぎておかしくないですか!?*4
この人たち、いわゆる「フレッシュJr.期」の98年度後期〜99年度前期のドル誌や「ジャニーズJr.名鑑」にも載っています。幼い藤ヶ谷さん(ドッジボールで当てられた時にジャニーズに当てたってからかわれてぉこたいぴしてる)とか、ふわふわ天使なこっしーと塚ちゃんとかがいます。KAT-TUNの三人とか推されすぎててびっくりする。
ですが、増田さんだけ同期の中でJr.名鑑に載っていません。増田さんのJr.名鑑デビューはおそらく2000年頃。ドル誌の初登場も1人だけ遅かったです*5なんなら、私が以前初めて行ったコンサートとしてあげた、2000年秋のジャニーズJr.東京ドームコンサートのパンフレットにも増田貴久という名前はありませんでした。出演していたにも関わらず*6
とにかく目立たない、たくさんいる…今で言う無所の中の無所みたいなJr.だった増田さん。レッスンすら呼ばれなかった時期もあるといいます。グループにもちゃんと入ったことがなく、増田さんはNEWS結成時を振り返ってこんな事を言っています。
ー メンバーと初めて顔を合わせたときは、どう思った?
『しげはドラマがいっしょで仲よかったけど、手越は出会ったばかり。錦戸くんも山下くんも先輩だったし、全然知らない人ばっかって感じで。しかも、Jr.内の各グループのエリートが入ってきたって印象だったな。手越だって、Jr.の期間がたった9ヶ月って、確実にエリートじゃないですか。俺だけエリートじゃない感があって』
ー 居心地の悪さもあったんだ。
『多少ね。後になってしげに聞いたのかな。他のメンバーは最初に集められたときあれ? まっすーがいる!って、思ったんだって(笑)』
そして、自分のJr.時代をこう振り返ります。
『(略)俺にとってNEWSって初めてのグループなんです。KAT-TUNくらいからかな?Jr.内でグループがいろいろできるようになって。B.A.D.とか、Four Topsとか、Ya-Ya-yahとか。A.B.C.も、☆☆I★N★G★進行形もそうだよね。でも俺は、グループに入れなかった』
『Jr.で何年目のことだったかな。収録のために、TV局の入構証を作ってもらったことが1回だけあって。グループに入ってると“KAT-TUN”とか“A.B.C.”って書いてあるんです。でも、俺の入構証には“研修生”って書いてあって(笑)。“もう何年もやってるけど、まあ、そうだよな。研修生なんだよな”みたいな。だからグループじゃなかったけど、“手越と組んでやったほうがいいよ”って社長に言われたのは、すごくうれしかったし、デビューできるよろこびはもちろんだけど、NEWSの一員にしてグループを組ませてもらうことが、なによりうれしくて。だから、NEWSって俺にとって掛け替えのない存在なんです。NEWS愛や思い入れは誰よりも強いと思う。活動休止中、その思いはさらに強くなったかな』
グループに入ったことがない、と言うことがどれだけJr.にとって……それもあの、90年代後半〜00年代前半の黄金期と呼ばれる時代のJr.にとって残酷なことか、疎外感を感じるかは測り得ません。そしてその後で、居場所として「手越の隣」「NEWS」という場所を与えられた時の嬉しさ、安堵感。
論、と言いながら個人的な話をして恐縮ですが、私自身、アカペラサークルに入って最初の2年、同期の中でほぼただ1人、固定のバンドがありませんでした。その場限りのバンドやヘルプで入るバンドばかり。ライブリハーサルの度に「次のリハーサルには出られないかもしれない」と不安と恐怖で泣いていました。逆に、初めて同じバンドで続けてライブリハーサルに出られた時は嬉し泣きを1人、していました。素人ですらそう感じることを、Jr.というプロのショービズの世界では…と思うと苦しくなります。
私のそんな自分語りはさておき、増田貴久はそれでもジャニーズを辞めようとは思いませんでした。呼ばれたレッスンで地道に踊り、たまにバックについてテレビに出たり、雑誌に出る日々。同期たちかはフレッシュ、の文字が外れ、グループが組まれだした頃、増田さんにまず最初の「棚ぼた」が訪れます。
それは、2001年、中三の時の少年隊「PLAYZONE」出演です。夏の恒例ミュージカルPLAYZONE。少年隊のバックにつく、ということで当然Jr.であっても、高いダンススキルが求められます。小さいJr.で、ダンススキルがある程度あり、さらに「8時の壁」*7を越えられるJr.。かつ、既に選ばれていた五関晃一くんのシンメでやっていけるJr.。7/4生まれで、舞台初日には15歳になっている増田さんは「増田でいいじゃねぇか」*8とその大役に選ばれたと言います。
東山さんの後ろで五関くんとシンメでIt's BADを踊る。舞台のクライマックス、中央に置かれたケーキの装置から出てきた錦戸くんの横でシンバルを叩く……それまで吹けば飛ぶような知る人ぞ知るJr.だったとは思えないポジションを与えられました。本人も、「これが自信になった」「踊ることが楽しい、もっと上手くなりたい」と思えたきっかけだと語っています。
でしょうね。
DVDで見る増田さんは、それまでの音楽番組のバックで見るよりも、はるかにイキイキとして、まっすぐ前を見て踊っています。大舞台での緊張感よりも、その舞台を作り上げる1人として堂々とパフォーマンスをしています。「踊るのが楽しい」「上手くなりたい」という気持ちが伝わってくるのです。Jr.だけど、既に芯がある。私の好きな増田貴久が既にそこにあります。
このPLAYZONEの時に、また次の「棚ぼた」がおきます。金八先生のオーディションです。周りの同年代Jr.がみんな呼ばれている中、1人だけオーディションのことを知らなかった増田さん。ジャニーさんに直談判*9して、オーディションを受けます。「なんでYOU行かないの!行っちゃいなよ!」と返したジャニーさんも大概ですけど、そこで受かっちゃう増田さんも凄い*10。
そして金八先生の収録で遅れてNHKでの仕事に1人向かっていた時が三番目の「棚ぼた」。大河のプロデューサーに声をかけられて、2003年大河ドラマ「武蔵」で宮本武蔵の幼少期を演じることになるのです。
主役ですよ。
増田さんが成長したら市川新之助(今の海老蔵)になるってすごくない!?!?すごい。
こんな風に棚ぼたが起きつつも、それでもJr.としては決まったグループには入らず、雑誌の登場の括りで「田組」*11になったり、嵐のバックにつく嵐組にまとめられたりしていました。とは言え、プレゾン・金八以前よりは仕事も定着し、光一さんの番組で斗真くんとレポーターを務めていたりもしました。
ここらへん、単なる「棚ぼた」ではないと思います。きっかけは「棚ぼた」でも、それで得た場所できちんと爪痕を残したこと、ダンスや歌に手を抜かなかったこと、それが全てにつながっていきます。嵐のバックで念願だった、翔くんのソロのメインバックにつけたこと。入所したての手越とカラオケで歌って、ジャニーさんに褒められたこと。増田さんは「代々木公園を声をあげて泣きながら帰った」時があっても、「仕事を辞めよう」と考えたことがなかった、と言います。「武蔵」で与えられたセリフの「強くなってやる」*12のように、「不撓不屈」で少しずつ力をつけて力を見せていった。それが、単なる棚ぼたじゃなくて、デビューメンバーに選ばれた理由かな、と思っています。
3.デビューから今まで
それからの話はみなさん割とご存知ですね!2003年、増田さんはNEWSに選ばれ、デビューを果たします。NEWSというグループ自体、最初にも述べたように不安定で山あり谷あり不思議なダンジョンな運命を辿ってきたグループ。2006年のNEWSの活動休止中のことを次のように語っています。
ー 今まで、芸能界をやめようと思ったことは?
『ないですね。たぶん。ないです。もちろん悩んだことはあります。NEWSが活動休止してたとき。俺、しょっちゅう泣いてたから。最初は、何もしたくなくて家でボーッとしてた。それでも、雑誌の取材はあったりして。前向きなことを言いたいけど、どうなるか自分もわからないから、具体的なことが言えなくてつらかったな』
ー 不安やつらさと、どう向き合ったの?『すぐには正面から向き合えなかったし、どうしたらいいのか簡単には答えは出なかった。悩みながら、でも最終的には、今は個人として、どれだけステップアップできるかってことだって。休んでるからこそできることしようって。それは、ダンスレッスンや歌のレッスンだったんだけどね』
元が心配症だから、どこで何があっても不安は不安だし、心配するだろうという増田さん。このインタビューが行われた頃、NEWSは6人から4人になる話し合いが行われていました。その後の2回目のインタビューで「いつか(2人が)いなくなる日が来るんじゃないかって心のどこかで思っていた」と語っているのは、その心配症だからゆえ、なんでしょうか。私は違うと思います。
Jr.時代、グループがなかった増田さん。ひとりオーディションに呼ばれなかった増田さん。「居場所の欠損感」が常にあった増田さんだから、「2人はいつか」とか、「グループが今後続くかなんて保証はない」ってただ悲観的に感じるのではなく、自然に思ってしまってしたのではないでしょうか。
でもそれは、増田さんがどんだけ不撓不屈な精神の持ち主でもどうしようもないことです。だって、山下くんには山下くんの、りょうちゃんにはりょうちゃんの選ぶ権利や自由があるから。そのやり方が、あの時で、あのやり方や片付き方で正解かは私にはわからないし、もう少しうまいやり方があるよね、と思う部分も多々あります。いまだに。それはともかく、増田さんは4人になる、ならないの時のことと、グループには入れなかった自分の過去を踏まえて次のように言っています。私がすごく共感して、なおかつ感謝をした言葉です。増田さんがNEWSという居場所をどうとらえているか、わかる言葉だと思います。
「やっぱり、僕にとって初めてのグループ、何者でもなかった僕が初めて入ったグループだったから。どうにか守りたかったよ。」
これ本当にわかるしかいえない……!初めてへの愛着ってみんなあると思うんです。それが初めての場所ならなおさら。私それわかるしかいえない……という私の自分語りは置いといて、増田さんの「不撓不屈」がいいように、NEWSに作用したなぁと思うタイミングが二つあります。
一度めは、2006年の活動休止時。
二度めは、2011年から2012年にかけての4人での再出発までの期間です。
一度めの時は、前述のようにボイトレやダンスレッスンをしていたと言います。テゴマスのメジャーデビューもあり、「歌だけで表現すること」を改めて考え、自分自身に、グループに還元できるだけの力を蓄えていました。また、グローブ座での主演舞台を数度行うことで、舞台で演技することはどういうことか、テレビとの違いは何かを改めて学んでいたかと思います。
私は「黄色いカナリア」からしか、増田さんの舞台は観たことがありません。ですが、なぜそんなことを言うかというと、舞台で演技するために必要な要素としての発声や、表情の作り方、リアクションの取り方、アドリブはテレビドラマで見る増田さんの演技よりもはるかに素晴らしいと感じるからです。もっと舞台をやってほしい。テレビドラマでの演技については後述します。
さて、本題に戻ります。二度めの時、増田さんは何をしていたでしょうか。4人で、NEWSで、ときちんとなったタイミングはハッキリ分かりません。なぜなら、2回めの一万字で4人が言っていることと、2011年から2012年頭の当時に言っていたことで、若干時期のズレがあると思うからです*13。
でも、確実に言えるのは、増田さんは「早急に活動するのではなくて、きちんと練ってからやろう」「復活のコンサートは、6人でできていたドームでやりたい」と主張していたことです。前者は、確実に四人での体制やリリースの仕方、発表の仕方、最初に四人で出る場所……を吟味できて、四人のわだかまりがすくない状態で再出発できたのは正解だったと思います。あの待っている時間は今では無駄じゃなかったと思います。
でも、後者はどうにもなりませんでした。あとから秩父宮の映像を見てこれで良かったんだ、と思えはしたけど増田さんの中では迷いがあったと言います。それは、コヤシゲが夜会で「イチゴのないショートケーキって言われたのが悔しかった」と、言っていたこととも通じるんではないでしょうか。増田さんの初舞台は、KinKi Kidsの東京ドーム公演。そこで見たお客さんの表情に感動したと言います。ドームへの思い入れが強いことは何度も言っています。6人のNEWSなら、自分でもそこにメインプレイヤーとして立てた。なのに4人では、と思った時に悔しくてたまらなくて、4人のNEWSに、自分がNEWSであることに自信が持てなくなったのだと、次の発言を見て思いました。
『4人で大丈夫だって思った。だけど、やっぱりどこかすごく不安で、このままでいいのかな?これでいいのかな?って迷いは絶えずにあって』
『これでいいんだって思ってやってきたけど、未来は見えなかった。』
ドームに強いこだわりを持った増田さん。4人で初めて行った10周年の記念コンサートでは、最後の挨拶の時に泣き出しました。約65,000人の前で。ステージ構成から推測するに、増田さんが初めて東京ドームでパフォーマンスした、KinKi Kidsのコンサートよりも多くの観客がそこにはいました*14。そこで自信が持てた。4人のNEWSに、NEWSにいる自分に。だから、それから一年空いてのツアー、Whiteでの演出や衣装により力を注げたし、満足のいくものができたのではないでしょうか。そしてそこに、たくさん足を運んだ事務所の他グループのコンサート、舞台、事務所外の興行で見たもの、感じたことが生かされていました。そうでなければ、去年、他担からの多数のWhiteへの賛美はなかったと考えます。ここで、歌やダンスという自分自身の力だけではなく、そこを基軸に、グループ全体に、ツアー全体に還元できるようなものの見方やプロデュースの仕方を身につけられたことが、増田さんの武器のひとつになり始めました。増田さんは、他のメンバーのように、特にテレビで目立つ活躍や、アイドル以外に言語化しやすい仕事をしているわけではありません。正直、できるとも思いません。本読まないし、学歴もないし、ギャクセン高くもないし。でも、与えられた「現実」を超えるために自分が見聞きしたものを具現化して、自分なりにブラッシュアップすることができる。それが対自分だけではなく、対グループ、対ツアー全体になっていったことが素晴らしいな、と思う次第です。
4.これからの「増田貴久」に思うこと
今年、増田さんに対して残念だなぁと思ったことがいくつかあります。一つは、「東京ドームに連れてきてくれてありがとう」と、ドーム公演で言ったこと。もう一つは、普段ドームクラスでしか公演を行わないグループがアリーナをやっているのに、アリーナとドームの見比べをしていなさそうなことです。
カルテット東京公演。さくらガールの最後の増田さんの手のひらコメントはもうみなさん、DVDなどを通してご覧になったかと思います。「東京ドームに連れてきてくれてありがとう」。
先ほど述べた、東京ドームへの強い執着心がある増田さんだからこそ、出た言葉だと思います。コンサートツアーなんて、増田さんや事務所にしてみたらビジネスの一つです。私たちファンがファンクラブに入らなければ、その数が増えなければ東京ドームでコンサートなんてできません。だから出た心からの感謝なのはわかります。それはそれで嬉しい。
でも、本当に私たちファンが、NEWSを東京ドームに「連れて行った」のでしょうか。私たちは発表に従って東京ドームにエントリーしたにすぎません。事務所に、「こいつらなら東京ドームでやっても勝算がある」と思わせるようなファンの増やし方をしたのは、それに値するパフォーマンスをしていたのは、「カルテット以前のNEWS」自身です。私は、どちらかというと「NEWSが今年もドームに招待してくれた」と思っていました。どちらも言えることだとは思いますが、どうせなら自信を持って「またドームで会おう」とか言ってもよかったのかも、と思います。だって、増田さんの中でしこりになっていた、「6人でやってたことと同じこと」ができてるんだから。不撓不屈の男なら、「そんな(お涙頂戴の)物語は全くいらない」*15と言った男なら、そこはドンと構えてほしい。
もう一つの「見比べ」。今年、嵐とKinKi Kidsがアリーナツアーとドームツアー、両方行いましたよね。嵐のアリーナでの見学情報が見受けられなかったし、キンキもまた然りです*16。これ、すごく勿体無いと思う。NEWSは今、アリーナとドームを並行して一つのツアーのなかで行なっています。それはこの後も、メンバーの発言を鑑みるとおそらく変わらないと思います。なのになぜ他グループの、それもドーム演出に長けている先輩のアリーナツアーをあえて見ないのか。「アリーナでやっていることをどう、ドームへブラッシュアップするか」逆に「ドームでやってることをどう、アリーナにまとめるか」といういい参考になったと思います。ドームは映像化を意識してまとまっていればいいものでもないし、広い分、セットだって外周の使い方周り方だってばらけてこそお客さんに伝わることもあります。カルテットのドーム公演が賛否両論、はっきり分かれたのは、正直言ってアリーナでやってたことをそのサイズをそのままにドームに持って行ってしまった部分が大きいからだと考えます。予算の都合や、豪奢な緞帳セットが作り変えられないだろうことは想像できますが、そこで工夫が見たかった。
「僕にとっては責任感みたいなものなんですけど、僕らはツアーなら何十公演ってやる。1回のステージは、何十分の1って思いがちだけど、その1回って、すごい責任のある1回で。30回やるとしても30分の1だと思ったらダメなんですよ。だって来てくださる人にとっては1分の1、そのステージがすべてなんだから。この回は調子が悪かったじゃすまされない。だから僕はこだわりが強いと言われることがあるけど、それは責任感ってことだと自分では思ってて。
こんな風に言うんだったら、アリーナに来ていた人も、ドームだけの人も、想像を凌駕するものを見せる工夫を、責任持ってしてほしいんです。その工夫ができるとしたら、NEWSのなかで誰が一番得意だとしたら、たくさんの舞台、コンサートで目撃情報があがる増田さんだと思います。大晦日、もしくは元旦のJUMPコン、どうせなら見ていて欲しいな、と思います。あとJUMP以外の後輩のコンサートもぜひ。WESTだって京セラを経ての横アリ、きっと進化している。セクゾンだって5人体制復活で見せるものが変わってくるだろうし、えびのアクロバットセットの使い方、キスマイの装置の取り入れ方は絶対、次のNEWSのいい参考に、糧になるはずです。せっかくプロデュース力を身につけたんだし、他のメンバーと違う視点を持っている増田さんなんだからこそ、スポンジ並みに吸収していただきたいです。
また、今年はグループでのレギュラーだけではなく、バラエティ、しかもお笑い番組のレギュラーが決まった年でもありました。自分が滑りやすいのなんて、こちらよりもはるかに増田さんがわかってるし、不安に思ってる部分が多いと思います。でもそこでこそ不撓不屈に頑張って欲しい。手越さんとは違うバラエティでのポジションを開拓するチャンスなんです。30超えたアイドルが、棚ぼた待ってる場合じゃない。そこからまた、歌の仕事だったり、テレビドラマだったりにつなげて欲しい。
その、テレビドラマのお仕事は、どちらかというと増田さんの「ふわふわ優しそう」「笑顔が似合う」「頼りなさそう」というようなイメージに固執した役が回ってきがちです。そのせいか、うまく演じられていなかったり、同じような調子になりがちです。それが本当にもったいない。2013年の舞台「ストレンジフルーツ」では芸術に魅入られ、狂気を持った青年が過去に戻れば戻るほど、素直であった様子を逆回しで見事に演じました。その二面性のグラデーションは素晴らしかった。舞台だからできた演技と片付けるのは口惜しい。バラエティで増田さんの切り口をたくさん見せて、テレビでの演技の仕事や、お笑い以外のバラエティや歌番組の仕事につなげて欲しいです。甘い言葉提供に被されてる場合じゃない*17んだから!男前なところだってテレビで見せつけて新しいファン連れてくる勢いで行って欲しい。増田さんにぼんやりとしたイメージしかない、他グループのファンを黙らせて評価変えるくらいのことしてほしい。だってそれができる人だから。
5.最後に
長々と、褒めてるんだかけなしているんだかわからない「にゅすほめ」ですみません。ここまで読んでいただきありがとうございます。とにかく言いたいのは、「増田貴久とは、唯一無二の不撓不屈さを持った魅力的な男である」ということです。増田さんの干支は寅。寅の中でも、「五黄の寅」という、意志の強い星回りです。普段はホワホワした子ブタさんでもいいです。かわいいところも、柔らかいところも、おしゃれなファッションセンスも魅力です。でも、もっとファン以外にも牙を剥いていいと思う。寅なんだから。子年の小回りのきき方も、卯年の賢さもないかもしれない。デビュー当時からファッションネタしかないかもしれない*18。真正面からぶつかることしかできないかもしれない。それでいいんです。だって寅年なんだもん。だからこそ、自分から、その牙で食らいついて欲しい。もう少し、仕事に繋がるように、メディアで話すこと、見せることの取捨選択や多様性を出して欲しい。このままだと、「笑顔がかわいい」「ファッションネタばかり」「少し頼りなさそう」「歌が上手い」というようなパブリックイメージが、増田さんの個性や活躍を縛り付ける、狭めるだけの固定概念的な「呪い」*19になっちゃう。他人や世間が言葉にした、自分についてのパブリックイメージは、いいものもあるけど、その反面、自分にとって呪いのように決めつけられたレッテルにもなり得るんだから。そんなの、今の増田さんのファンがいくら世間に向かって吠えても、本人が見せてくれなきゃ、自覚してくれなきゃ解けないし剥がれないままなんですよ。でも、たくさんの肉を食べて、血や骨にしている寅だからこそ、増田さんは、呪いを解いて多様性を見せつけることができます。笑顔も、雄々しさも、ファッションセンスも、歌声も、ダンスセンスも、たまに面白いところも、メンバーへのツッコミがたまに鋭くキツイところも、先輩後輩と仲が良いところも、ファン以外に見せて欲しい。そうして、自信を持って、もっと強い寅に、増田貴久になって欲しい。たくさんの人を惚れさせて欲しい。
私が惚れ込んだ増田貴久は、そういう男だと思っています。これからも、惚れ続けさせて欲しいし、惚れ直させて欲しい。それくらい、増田貴久は魅力的な男なんです。
これからの増田貴久さんと、テゴマスと、NEWSに期待しています。次はNEWSについて褒めまくる「修士論文」が書けたらいいな、というところでこのブログを結びとします。ありがとうございました。
*1:文系の学科なので指定がやばかった。ちなみに研究室内規が五万字以上でなるべく12/22に出せだった。五万字書いたけど12/24に出した人です
*2:強い意志を持ち、どんな困難にあっても、怯まず挫けないこと、またはその様
*3:元ネタはスペースマウンテンの搭乗前アナウンス「急上昇急降下するジェットコースタータイプのアトラクション」
*4:Jr.時代の事務所退所者を含めるともっといます
*5:Myojoが2000年かな?
*6:亮ちゃんがパライソ歌ってる時にわらわらで出ているのが発見されています
*7:15歳未満の20時以降労働原則禁止のこと
*9:今思うとこれすごいよね、無所のオーディション行かせろ談判…
*10:合格者を知らせる時、増田さんはその場におらず、「YOU(東新くん)と、YOU(シゲ)と、あいつだよあいつ!増田!」とYOU呼びされてなかったことをシゲが暴露してます
*11:苗字に「田」がつくJr.の集まり。キスマイ宮田くんとか元Jr.野田さんとか、ふぉ〜ゆ〜の福田くんとか
*12:「武蔵」第1話より。北野武さん演じる武蔵の父にコテンパンにされて川の中でそう叫ぶのが武蔵の強さの原動力。てか北野武と共演っておいっていうね
*13:2011年時点では小山さんがリーダーに決まった焼肉やシゲの家でのお泊りが11月頃でそこで4人、となっていたのが最近の一万字だとまほうツアーのあとに正式に4人で…となっているのでどちらを起点にしていいか私の中で読み解けていないのです…誰か解説して!
*14:増田さんの初舞台のキンキコンはDVDになっています。98-99のものです。よければぜひ!
*15:『もちろん“いい加減にしろよ!”ってどこにぶつけていいかわからない感情も正直ありましたよ。だって、もともと9人でデビューしてるんですよ。それが残ったのは4人。前だけ向いて、全力で走ってきた4人に、“いろいろあったけど、それを乗り越えてがんばってます”みたいな物語、まったくいらないんですよ』という、増田さんの2015年の一万字インタビューより。私はこのくだりが一番好きです。
*16:キンキはドームもこれてないはず
*17:締めを書いている時におしゃれイズムが始まりました
*18:手越よく言ってくれたと思っているのは内緒
*19:ドラマ、漫画「逃げるは恥だが役に立つ」より