2016.8.14-2016.12.31
====この24時間くらいでの気持ちを咀嚼するために書きました。そうじゃないと考えすぎて眠れなくて。この後はなるべくツイートも、ブログも、この件について書かないつもり。だって私は一ジャニオタで、いろんな思いはあるけど、該当担じゃなくて、該当担だったこともなくて、だから完璧に気持ちに寄り添うことはできなくて、申し訳なさすぎるし、こういう時な「外野は黙れ」の気持ちもわかるから。時が来たら非公開にするかもしれませんが、とりあえず吐き出したことをご理解・ご了承ください====
私が生まれ育った家は、東京の外れにあった。
あった、って書いたのは今は引っ越したからとかそれだけじゃなくて、その団地が全て大きな公園になってしまって、そこに古びたアパートメントタイプの社宅があったなんて、今の子どもや住人で知る人は少ないから。
東京オリンピックの少し前、に建てられたらしい鉄筋4階だて、六畳二間にちいさな「台所」という言葉の方が似合うダイニングキッチン。シャワーさえないお風呂と、和式のトイレ。
そんな家が私の世界のほとんどだった頃の話。
ちょうど、3歳の…多分春の、昼下がりだと思う。
私は台所と玄関の境目くらいのところ。トイレとお風呂のドアに向かってぺたんと座って、黒のクレヨンか、マッキーか忘れたけど、とにかく黒の太い筆記具を握って、大きな画用紙にずっと同じものを書いてた。
すまっぷはかっこいいから、きっとあったらさいんをくれるんだろうな。
これね、すまっぷのさいんなの。
すまっぷのさいん、ほしいなぁ!
ひらがなの「み」に似た形のそれは、当時、飲み物のCMかなんかで見たSMAPのロゴのつもりだった。3歳の私にとっては。
そして、それがロゴだなんてわからなくて、彼らのサインだと思って、ひたすら書いてた。CMで見るSMAPがかっこよくて、アイドルはサインをくれるらしいと思ってて*1、欲しくて書いてたんだと思う。
それが私の、自分で自分の記憶だとハッキリ認識してる最初の記憶。
それから5年経って8歳になった。ちょうどバレンタインの頃だ。学校の友達と、自転車に乗って少し大きなスーパーまで、バレンタインのチョコを買いにいこうとしてた。スーパーの途中には都内でも割と有名な遊歩道がある。よくロケなんかしている。そこを通りかかった時、友達が「あっ!」と口を押さえた。
「どうしたの?」と聞くと、「あそこでSMAPが撮影してる!カメラマンがいる!」と言うのだ。
確かに、SMAPが多分雑誌の撮影かなんかをしていた。6人で。周りには野次馬なのか、おっかけなのかよくわからない人だかりがいた。なんならチョコ持ってる子もいた気がする。「SMAPにチョコあげれたらすごいよね」「ね、でもこどもはむりかもね」なんて話しながら何もせず遠巻きに見てスーパーに行った。
これが、私が初めて見た芸能人の思い出。
彼らが私のナンバーワンのうちのひとつになったことはないかもしれない。だから、あれこれ言う資格はないと思う。だって、山口智充演じる永倉さんが言ってた。「近藤さんの悪口を言っていいのは苦楽を共にした俺たちだけだ」*2って。私はこれ、その通りだなって思っている。この12年ずっと。
でも、例えば大学受験の1年に支えて貰ったのはその「新選組!」だったり、自担の病気やあれこれで離れていたジャニーズの世界に戻るきっかけになったのは08年のツアーを見に行ったからだったりする。そもそも、自担と出会うきっかけは彼らの番組を見てたからだし、セーラームーン以前に、ハマっておもちゃまで強請ったアニメの主題歌は彼らの歌だ。
事務所ってなんだろうね。
アイドルってなんだろうね。
ファンってなんだろうね。
そんなことを思いながら、それでも私は彼らが、彼らの事務所が作り出すキラキラした世界が好きで焦がれるんだろうなって思いながら寝ることにするね。
少しでも、5人と、1人と、彼らを愛したみんなが眠れますように。
少しでも、5人と、1人を見守ってきた先輩や、仲間や、後輩が、変に何かに憂うことがないといい。仕事でコメントしなきゃいけないのは仕方ない。でも、そこを乗り越えるだけの強さは、5人と1人が与えてると思うんだ。ツイートとの繰り返しになるけど、私たち(という言い方は好きじゃないけど、敢えて)が憂うべきはそこじゃないと思う。
明日、本屋さんでこの本を買って読むよ。
SMAPは終わらない~国民的グループが乗り越える「社会のしがらみ」
5人が、6人が、そこから解放されたとしても、それで…それが、すべての終わり、終焉じゃないのだ、という救いを私はこの本に求めたい。はたから見てて、それで好きだと思っていた私なりに。もともと読むつもりで取り置きしてた本をこんな風に読むのは想定外すぎるけどね。
そして、昨日から繰り返し報道される日は、私の30の誕生日。
今から楽しみじゃない誕生日なんて嫌だけど、いや、そんなの、担当さんからしたらてめぇの誕生日なんて知るかよそれどころじゃねぇよだと思うけど、それでもこんな形で誕生日が連呼されるのは複雑。ただ、そもそも生まれた時は少年隊が仮面舞踏会を仮面ライダーと間違えられて、3人が紅白の舞台裏で号泣していたらしい。30年経ってなんという因果なんだろね。
せめて、その日が、30年前と同じように、晴れた日、暖かい日でありますように。
そうじゃないなら、これが全て夢か、10年、20年経った時に、また5人が5人になる道が開けたらいい。きっと、そのあき具合に大小あるとしても「ドアはあいている」*3だろうから。
という結びで、この件については以後口をなるたけ慎むことにします。